今も東京に残る、新橋・赤坂・芳町・神楽坂・浅草・向島の花街かがいを「東京六花街とうきょうろっかがい」といいます。その中の一つである赤坂は、明治初期に小さな規模の花街から始まり、明治二十年代(1887年代)に溜池周辺地域に官公庁が集まったことで、財政界や陸軍の要人の奥座敷として栄えていきます。全盛期には芸者が四百名以上いたともいわれる赤坂。現在では二十名弱となりましたが、伝統や文化を後世に残すべく、赤坂での活動を続けています。

「牡丹の花」に喩えられる
赤坂芸者衆

東京六花街の中でも、赤坂の芸者衆は明るく華やかな印象があり「牡丹の花」とも呼ばれています。現在は、若い芸者も少し増えてきました。古くから花街に伝わる唄や踊りなど、伝統芸能の継承者として誇りを持ち、おもてなしのプロとして活躍しています。赤坂氷川祭や地元のイベントなどに参加し、赤坂のまちの魅力を発信しています。

芸者衆の晴れ舞台
「赤坂をどり」

「赤坂をどり」は、赤坂の芸者衆が磨き上げた芸事を披露する晴れ舞台です。昭和24年(1949年)に三越劇場で初めて開催され、新橋演舞場や歌舞伎座、近年はTBS赤坂ACTシアターでほぼ毎年開催していました。オープニングでは長唄に合わせ、役に扮して踊ります。舞台は二部構成で展開され、第一部では新邦楽や大和楽にのせた舞踊劇、第二部では花街の四季をうたった小唄や端唄で踊ります。フィナーレでは、赤坂の今昔を詠んだ唄にのせ、黒の衣裳を纏った芸者衆が勢揃いして艶やかに踊ります。芸者の踊りや唄を通じて、赤坂らしい明るく華やいだ気分を楽しめ、花街の雰囲気を味わえます。

威勢のいい赤坂独自の演目「咸臨太鼓かんりんだいこ

かつて勝海舟が軍艦「咸臨丸」で出航する際に演奏したと伝えられる和太鼓の演目で、「赤坂をどり」でも披露されます。

赤坂小学校では、卒業生を送り出す際に演奏したり、芸者衆による演奏法の講習会も行われ、地域に根差した芸能となっています。

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問い合わせ先

芸者衆の手配等のご要望は下記までご連絡ください。
東京赤坂組合(赤坂浅田)
TEL : 03-3585-6606
Mail : akasaka.geisha2020@gmail.com

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